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壱号機 CAAD10 その1

数あるメーカーが用意したアルミのエントリーモデル群からどれを選べばいいのか、性能は横並びだろう、価格設定も同じようなもの、とあ っては、何を判断基準にすべきかと言えば、もはや決定的な差となるのも、アルミ復興の一日の長であるというイメージだけかもしれない。

知る人ぞ知る”七葛”で有名な葛城山の頂上であるが、おいおいこんなとこまで落書きしに来んなや。

嘘か真か、あるいは宣伝に踊らされているのか、それは藪の中だけれど、このメーカーは他社がカーボンに右へ倣えをしている状況の中で、アルミの可能性を追及し続け、実際それなりの性能を持ち合わせるものが産み出され、“カーボンキラー”なんて大上段に構えたキャッチコピーまで掲げ、他社との差別化を図り、稀に見るヒット商品となったわけだが、かくいう僕もそれに乗っかってCAAD10を選んでみた。

なるほど、よくよく考えると、駆動系が右側後半に位置する関係上、この角度からの写真が多くなるわけか。

アルミ特有のブリブリと盛り上がった溶接痕、軽量化と剛性の両立を計るため異様に肥大したトップチューブとダウンチューブ、どう見ても不細工なんだけど、世の中ブサ可愛いなんて言葉が罷り通っているように、と言うより、この場合は、伝統に捕われないアメリカ人らしい合理主義が具現化したもの、見てくれよりも走りを追求していった必然の形だから、これはこれでブサ速いとでも呼びたいくらいだ。

この無骨なトップとダウンがヘッドに合流するチューブの仕上げ具合を見よ、その開き直りは潔いくらいではないか!?

にもかかわらず、カーボンフレームには絶対敵わない、というのは断言できると思う。アルミの特徴を最大限に生かしたところで勝負したいのだろうが、軽量化のため層を薄くする代わりに径を太くすることで最低限の剛性を確保したとしても、または、素材の特性である打てば響くという反応性の良さをウリにしたとしても、いいところまではいくけれど、炭素繊維の塊だってそれらは得意分野である。

意外と正面より撮るパターンが少ないのは、空力の都合上、単なる棒状になってしまうからで、この角度は全体像が確保されるギリギリとなる。

他に挙げると、値段が安いところ… なのだけれど、カーボンといえどもエントリーモデルなら価格破壊は着実に進んでおり、もはや特別というイメージの垣根は低くなってきている。その一方で、ハイエンドのモデルは強気な高値安定であり、と言うのも、ロード趣味の泥沼に嵌った人間は金に糸目をつけないという足元を見られているので。そういう僕でも、三台持っていて次に欲しいとしたら、泣く子も黙る有名どころのフラッグシップ機かなと思うもんな。

見てくれより走りを優先したおかげなのか、その佇まいに存在感があるのは一寸驚くほどで、ブサ速いというのは満更でもないのだ。

せいぜいがとこ、アルミのカーボンに対する優位性を考えると、地味だけれど決定的と言えよう、唯一かもしれないアドバンテージは、何やらペットボトルの延長にあるような、どうにも変テコな素材の思いが拭えない、一回派手にコケたらお終いと覚悟すべき、“カーボン”みたいにデリケートじゃないから、多少は邪険に扱っても平気なところだろうか、うん? それが強みになるという話であるならば。

衝撃の1枚。ところで、塑性~力を加えて変形させた時、永久変形を生じる物質の性質、というのがあって、それであると信じたいような。まぁ実際、この状態のままガンガン乗りまくっていて、今じゃ写真写りが悪い以外、あまり気にしていなかったり。でも、アルミの破断について調べてみると、この件とは別にして、そもそも割り切った付き合い方が必要かもしれない。

こちらはこちらで、まさかジュースの缶と同類になるのか。CAAD10のトップチューブやダウンチューブあたりを、コンコンとノックすれば中で反響する音は妙に軽く、力自慢がギュッと握ってみればベコッとへッコミそうな気がするくらい。もはや、どこまで耐えてくれるのかは、実際に壊れてみて始めてわかるというオチやもしれぬ。そう言いながらも、心の片隅には、乗りつぶしてこそ自転車にとって本望だろう、と思っている節があるんだけど。

安らかに眠れ、という日も遠からずやって来るだろう。ちなみに本文と写真は無関係であり、あくまでなんとなくのイメージです。

いつも思うのだけれど、丸一日をかけて走った次の日、筋肉痛など特定の部位だけで済まず、体を貫く芯のほうが鉛のように硬化しており、大きなダメージを引き摺っているわけだが、そんな時、CAAD10に乗ろうもんなら、ペダルの感触に違和感を覚えるのは、ちょうど自転車に人格があるみたいで、今日は機嫌がよろしくないようだ、こちらの言うことを全然聞いてくれない、と嘆息するばかりである。

外からは窺い知れないが、金属疲労が蓄積されてるのは十分承知で、こっちの目には歴戦の古参兵に映るのだ。

元来からして、重たく鈍いやつを力にて捻じ伏せるようなペダリングであり、普段ならば踏み込んだ感度の良さに隠れがちだけれど、こちらの脚が弱っていては途端に扱いにくい代物へと変わり果てる、それがアルミフレームの特性になるのか、もう、いい加減に気付けよ、という話ではあるが。

【続く】

カテゴリー: 自転車

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