良さげなものを片っ端から用意すると70枚ほどに膨れ上がり、そこから悪くは無いが訴えても来ないのを振るい落とし、並び順の構成を優先してピックアップしたら、最終的に40枚で落ち着いたが、70分の40というのは質と量に関していい塩梅であるかな。それだけの枚数分、コメントを付随させるとなれば、考えただけでウンザリしてくる、同じ系統の被写体も多くなるし、テーマが決まっているから話も広げにくい、どうにもこうにも、写真まずありきの文章をこじつけるという、思考の力技になりそうだ。冒頭に長めの文章を載せ、あとは写真を淡々と並べて行くだけ、にしてお茶を濁そうかとも考えたが、それだと後悔するのが目に見えており、そもそものコンセプトというか、写真と文章の両輪が揃うことで始めて回り出す、という決意表明を破っちゃいけない。一枚ずつ写真を見ながら何を書こうか、頭の中にある引き出しを引っ掻き回して、なんとかアイディアが沸いてくれば、後は文章の校正をしながらパソコン画面との睨めっこ、これを40回やってのけたら、書くことも上達しているに違いない、きっと!?
1 恵比寿と大黒のお面が並び、他にも、札や笹や鯛や小判や大福帳や鈴や御守りや米俵など、縁起のいいものばかりが笊と熊手にギュッと詰め込まれ、それらが雪崩のように覆い被さる、この場に特徴的な屋台は、お祭り気分を否が応でも盛り上げずにはおかない。
2 お店の外観だけ収めても物足りなくて、そこに人物が存在すれば何らかの場面となるわけで、加えてストレートに面がいいと引き立ち、その場を持っていってしまうほど、そうすると被写体依存の一枚となり、撮った人間が不在になるんじゃないか、と気になる。
3こんな 濃ゆいキャラクターの持ち主も中にはいるもんだと、妙な感心をしながら気を取り直してパチリと撮ってみたのだが、あくまでリアルなストリートフォトゆえの、その場に異物を放り込んだような空気感が封じ込められていたら、これ幸いなのだ。
4 人間を撮るとは表情のことであると、まったく状況は掴めないが何か冗談を言って周囲の笑いを誘っていると想像されて、ピントは甘く、ノイズ過多だし、写りは良くないにもかかわらず、それを補って余りある魅力なのは、写真の本質を紐解くヒントであろうか。
5 ツラがいいと最大限得する点とは、澄ました顔をしていても十分サマになり、もしかしたら、喋らないほうがいいくらいかも、はてさて、表情がなくとも絵になるとはこれ如何に、一点に集中して物思いに沈んでいるとか、心の有り様が詰まる所それなのだろう。
6 女は愛嬌なんて紋切り型なぞを持ち出すと、もはや性差別と言われる時代の風潮かもしらんが、何故この写真を撮ったのかと言えば、まさにその一点に尽きるわけで、事実、なんかオモロイ女だなと気になったのは、男の性であって否定のしようがないんだわな。
7 さてと、髪の毛を染めた子供達と御守りを売る禿頭の商売人が向き合い、電球の照らし出す明と暗が画面を分割し、赤と青の帽子が並び、斜めの角度でパンフォーカスながら立体感もあり、様々な要素を計算された機械仕掛けのような写真、という解釈も出来よう。
8 同じ系統の被写体も多くなり、テーマが決まっていては話も広げにくい、とは確かに言ったものの、すぐにも書きあぐねて途方に暮れるとは、押して駄目なら引いてみろとか、発想の転換を試みるのだが、結局、泣き言を並べて済まそうと、このザマなんである。
9 幼少の頃に食べたものは大人になっても食べ続ける、とジャンクフード大手チェーン店の販売戦略にあるらしいが、屋台の照明が煌めく中、行き交う人々の波、母親に食べさせて貰うお好み焼きは、そりゃ、この子の記憶味として深く刻まれるのだろうな。
10 派手な色のチョコレートでコーティングされたバナナに、これまたトッピングの粒々が極彩色のアクセントとなり、しかし子供とは大人とは違う生き物だから、とても大人には食べ物の味に見えずとも、この子の表情を見てみれば、一生懸命昔を思い出してみる。
【終わり】
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