コンテンツへスキップ →

自転車紹介 序章①

自転車を三台ばかり持っていて、しかもロードという同じ土俵のものばかり、それぞれフレームの材質はアルミ、カーボン、クロモリとなる。門外漢から見たら、何故そんなに必要なの、馬鹿じゃないの、となろうが、こちらとしても別に一遍に揃えたわけでなく、時系列的に見れば、然るべき理由があって今日に至るのだ。

壱号機 CANNONDALE CAAD10

聞くところでは、自転車文化とはヨーロッパに固有のものであり、さすれば、日本には存在していないのか。それもおかしな話じゃないか、自転車なんて小さい頃から身近な相棒として慣れ親しんで来ているはずなのに。だけど、道路を見れば一目瞭然なのは、車と人の中間に位置する自転車の居場所が、そこには無い。

弐号機 BH G5

あくまで、歩道は人のためのもの、と言うより、それ以前に、こちらが加害者となる事故が怖すぎて、できるだけ走らぬようにしている。一方の車道はと言うと、路側帯が広く取ってあれば、ある程度は安心できるが、それでも路上駐車は酷いのだけれど、そんなところ、実際にはほとんどありゃしない。だから、ロードで走りに行くとすれば、とどのつまり、車の少ない場所ばかり選んでルートを結ぶこととなる。

参号機 COLNAGO MASTER X-LIGHT 30th ANNIVERSARY

こう言っちゃ何だが、心の片隅には、いつ事故に遭っても不思議じゃないという、予感というか、覚悟というか、諦観というか、それは単純に確率の問題のような気がする。知り合いがモーターバイクに乗り始めて、自分は安全運転しているから、事故には遭わないと自信満々で言っており、あまりに交通事情を知らないナイーブさに呆れたので、“相手が滅茶苦茶なことやってたら巻き添えを喰らうぜ、そもそもバイク乗りで事故ったことの無い奴なんているもんか”と散々脅してやった。

❝カーボンキラー❞は、ちと言い過ぎちゃうか!?

ところで、大阪には二大繁華街のキタとミナミを結ぶ御堂筋という通りがあって、本線四車線、左右に側道が一車線ずつ、しかもそれは南向きの一方通行だという文字通りの大動脈が貫いている。別の知り合いが、これを造った人間は先見の明があった、とエラく感心していて、なるほど、現在の円滑な交通の流れを見てみれば、素直に頷けるものだ。
ひるがえって、考えざるを得ないのが、どうして日本の道路行政は、これほど貧しくやって来たのか。理解に苦しむのは、土地が余っている田舎へ行くほど、まるで人の歩くところさえ削って、道が狭くなっているのは何故なのか。おそらく、土地の買収やアスファルトの材料に財政的な余裕が無かったのか。 昔は今より、こじんまりとした車しか走っていなかったのか。 急速な近代化を強いられ、道幅の広さよりも、日本全土に交通網を敷くことが急務であったのか。

こんな華奢な乗り物で、よくあちこち出掛けるもんだ。

誰かの責任に押し付けるのは簡単だが、いつも通り政治家や役人を槍玉に挙げても、まずは何の解決にもならず、これまた耳にタコができて不感症だけれど、この国には、先を見通すのではなく、その場をしのげればいい、という悪癖があるようだ。まぁ現状に目を向けてみれば、新しく造られる道路は余裕のある広さになっており、彼らとて決して盲目でなく改善されているのだが、それでも全体からすれば焼け石に水の感は拭えない。
知ってのとおり、大阪は日本の誇る第二の都市であるが、広すぎもせず狭すぎもせず、人間と車両で溢れていることもなく、これ位ならば許容範囲であるかな、と思えるほどの規模であろうか。それもこれも、あくまで東京と比べての話であって、裏を返せば東京の一極集中の凄まじさを物語っている。だから、東京にいたらそう思わなかったろうけれど、移動の手段として自転車で十分事足りるかな、と考えるくらいの丁度いいサイズであるのが、ここ大阪なのだ。

大阪のシンボルのくせに、初めて見た時、エラくチッチャイなぁというのが、印象的だった。

折角だから、ちょっと奮発して、いい自転車でも買おうかなと、漠然ながら思った。でも何がいいのかは、全くわからなかったけれど。少し調べたら、どうやらロードバイクと呼ばれるものがあって、それは競技で使われているとのこと。そこで直感的に閃いたのは、これは面白いに違いないぞ。 何故と言うに、スポーツの一種目であるならば、歴史的な進歩と発展の積み重ねにより高い完成度を誇っているだろうからだ。実際、それは間違っておらず、それどころか、こちらの期待を軽く凌駕するのである。

再開発の進んだお隣の阿部野橋には、あんなものが出現。

よくロードバイクって幾らするの、と聞かれ、ちゃんとしたメーカーが用意したエントリーモデルなら、15万円くらいかな、と答える。対して、聞いたほうの反応はと言えば、驚きでしかない。それは15万という金額に絶対的な高さを覚えるのか、または自転車ごときに15万なんて狂気の沙汰と感じるのか、どっちだろう。しかし、ものは考えようで、例えばツールドフランスは百回を超えて開催されており、つまり百年以上の技術や知恵が蓄積されたもの、それが今、目の前にあるロードバイクなわけであって、取り敢えずという条件つきながら、ほんの15万から手に入るというのは、凄いことではないのか。

比喩的に、あのトンネルを抜けたら、何が待っているのか、という心情である。

言わずもがなであるが、機材本来のポテンシャルを引き出すような走りができなければ、単なる宝の持ち腐れでしかない。それは競技用という生まれゆえにスピードを追求しなければならず、ちんたら走っている”ロードバイク”は残念無念と言わせてもらおう。100キロや200キロの距離を走ってこそ、水を得た魚の如き本領発揮であり、問題はプロレベルになるとそれを信じられないような平均速度で駆け抜ける。自転車で山を越えられるもんか、と怒ったように言われ、思わずキョトンとなったが、ランナーズハイと呼ばれる酸欠状態になって脳内麻薬が滲み出るような無我の境地を、スポーツに本気で取り組んだことのない人間は理解できないだろう。苦楽を共にすることで俺の相棒というような擬人化をし、すると自ずから、汚れを落とし磨き上げて、的を射た整備を施してやり、消耗した部品は交換を怠らず、そうすれば幾ら耐久性よりも走りに特化しているとはいえ、五年や十年は充分に持ってくれるはずで、長い目で見たら初期の費用は回収できるはず。と、まぁ以上に書いてきたレベルまで、己を引き上げることができたら、もはや15万なんて可愛い出費では済まなくなること必定だけれど、それはまた別の話なのだ。

【続く】

カテゴリー: 自転車

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください