写真をパシャパシャ撮って、デジタルならではのRAW現像で追い込み、まぁ取り敢えず、納得のいくものが出来上がったが、パソコンのハードディスクに貯まっていく一方である。それもどうかと思い、死蔵しておくくらいならと考え付いたのは、「大阪百景」と名付け百枚分を選別して、一気に陽の目を見させてやろう。
1 住吉大社の反橋という、えらく傾斜のついた段を上り切り、若い女の子が髪を振り乱して、服のシワシワも躍動感を醸し出し、そうして凝固した狛犬の面構えとの対比が印象的なのだが、どうすればいい写真が撮れるのか、それは単純に偶然かもしれない。
2 生憎、名所案内するつもりはなく、文化遺産だからと有り難がる感性もないが、おっ、これは、とシャッターを押しただけで、絵葉書になるような一枚が撮れたのは、さすが腐っても鯛と言ったら言い過ぎか、これもパワースポットの恩恵としておこう。
3 カメラを手に持ち、森羅万象に分け隔てなく感応したいものだ、とか考えながら、ここに来ると“じゃリン子チエ”が頭に浮かんでくる萩之茶屋を歩いており、要するに、何気ない市井の一コマを切り取ることができるか、これはそんな一枚である。
4 大阪でも希少な路面電車だが、如何にも鉄の塊が転がるさまを表現したく、流し撮りでスピードにシンクロさせて車両をシャープに捉え、それ以外はブレることで疾走感が出て、特に前景のフェンスに絡まる蔦のぼやけ具合が効果的なのだ。
5 観光地では写真を撮るもので、通天閣をバックに集合写真を撮ったり、その通天閣をスマホに収めたり、間隙を縫って進む生活者がいたり、それらにカメラを向けている自分を含めて、カオスでシュールな状況が繰り広げられるのも、観光地ならではである。
6 元来、通天閣の足元に広がる新世界は、社会の爪弾き者が流れて落ち着く、それはそれは怪しげな場所であったようだが、これも時代の趨勢か、大手外食チェーンの仕掛けた、凝った店構えの織り成す色彩のパレードに、健全な観光客が吸い寄せられる。
7 扉もない立ち飲み屋の前を通ると、酔客は緊張がゆるりとほどけ、酒の肴に舌鼓を打ったり、素面とは違った精神状態で神妙になったり、酒を飲んだつもりが逆に呑まれてしまったり、色々な人間模様が観察されて、思わず撮りたくなる。
8 観光客の集うメインロードから少し離れれば、昔からのアーケードはシャッター商店街というほど絶望的ではないけれど、それはもう生き残りに必死であり、どうやら外部の協力もあるようで、あれやこれや再生の道を探っているのが、写真から窺えるだろう。
9 もう今日という一日が終わるが、間髪を入れず次の一日に切り替わり、確か子供の頃は一日は完結していて、次の日は生まれ変わったような一日だったはずで、いつの間にか区切りの付かない連続性に、帰路に着く会社員にとっては、束の間の休息である。
10 深夜に徘徊して、そんな時に写真を撮ってみれば、あべのハルカスは高台にある分だけ聳え立ち、廃墟と見紛うけれど人の住む家屋をバックに、街灯に照らされた老人の背中が物語るものとは、夜のしじまの余韻であろうか。
【終わり】
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