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暗峠①

このあいだ、暗峠に行ってきたよ。

山の上は雪である。

麓から俯瞰するなら、山の谷状地形を利用した、弱点を突いたルートであるとわかる。それは徒歩の時代に開かれたルートなので、直線的つまり最短距離で峠を目指す。それゆえ、現代の乗り物には、ちょっと厳しいものがあるかもしれない。昔から使われてきたというのも納得する、とても雰囲気のある峠ではあり、是非とも、足をつかずに、登っておきたいものだ。

寒々とした雰囲気が伝わるものを、特に選んだ。

しかしながら、これまで何度も挑戦したみたが、まったく歯が立たず、もはや諦めの心境と打ちひしがれていた。それでも矢張りどこか悔しいので、どうすれば登れるのかと、頭の中でイメージしてみるならば。

一枚写真を撮る度に、指が痺れて、しょうがなかった。

まず一週間目は、取り敢えず一日一本を登る。次の二週間目は、ハードルを上げて、一日二本を登る。そうすれば上手くすれば、勿論やってみなければわからないけれど、ほんの十五日目には、もしかしたら万が一にも登れるんじゃないか。まずもって、ここが通常の坂と異なるのは、厳しい斜度が延々と続き、したがって脚を休めることができず、兎にも角にも、それに耐え抜く持久力を身につけるしかあるまい、と思ったからだ。

よく手入れされた庭をバックに、パチリ。

でも実際問題として、東大阪に住んでおり、裏山が暗峠という環境でもあればいざしらず、アプローチに一時間弱かかってしまい、そんな時間を持て余した身分でもなし、日々の疲れが澱み、回復と鍛錬を騙し騙し繰り返している、そのような状況で、そんな余裕どこにあるのか、という声が内なるところから聞こえてくるようだ。

実際の見た目の斜度が、これは表現されている。

勿論全然不可能というわけではないけれど、いざ本当にやるとしたら、相当なモチベーションが必要になるだろう。つまり一言で言うと、絵に画いた餅でしかなかった。

上りだか下りだか判然としないが、傾斜の厳しさはわかるだろう。ちなみに、これは下り。

ところが、なのだ。先日、時間と場所の機会に恵まれて、ちょっくらトレーニングでもしてくるか、と軽い気持ちで出掛けてみたら、我ながら驚いたことに、足つきや駐車場での旋回など一切の休みなしで、そのまま頂上まで辿り着いてしまったのである。

自棄になって、自転車を寝かしてしまった。

この前ここに来たのは、ほんの数ヶ月前。あの時は、気負って挑戦しただろうか。ふくらはぎと腿は、すぐにも悲鳴を上げながらパンパンに張ってしまい、ほとんど瞬時と言っていいくらいの短い間で筋肉痛の塊と化した。腰はまるで鉛ででも出来ているかのような無機質な感触で、自分の体の一部というより別のパーツのように浮き上がり、もはや血の気が通っていなかった。度を越して力を入れすぎると、激しく動いているわけでもないのに、それどころか一つの姿勢で凝り固まっているはずが、大量の汗を毛穴から吹き出すという、他のシチュエーションではなかなか有り得ないような気色の悪い経験がされた。心臓が口から飛び出さんばかりに鼓動し、顔を覆う唾やら汗やら鼻水やらは噴出しているのか吸引しているのかわからず、激しくむせ返って、呼吸を整えるのに時間がかかる。

これが意外と、面白い効果を発揮している。

そのような、ほとんどトラウマ同然があったから、今回は、恐る恐る、慎重に登って行った。麓の住宅地では、もう既に結構な勾配なのだが、近所の奥さんが電動アシスト車で軽快に前を行くのを見送った。そう言えば、あれはこの峠を踏破できる能力を秘めているらしいというのを、動画でやっていたな。

近所の奥さんが電動アシスト車で軽快に前を行くのを…

登りはリズムだ!というのは別に漫画じゃなくても、ジョギングなど持久系のスポーツであれば、維持できる心拍数と筋力を見極めながら、ギリギリのところで推移していくのが好結果につながる、というのは誰しも経験的に想像できるだろう。しかし、こと暗峠に関して言えば、それは自滅につながってしまう。いずれ、すぐにも、全力を強いられることになるのだから、できるだけ力は温存させておかなければならない。さらに言えば、自転車ならではの、サドルやペダルやハンドルに体重を預けながら、心拍と脚力の復活する性質を利用すべしという、ある種の秘訣がそこにはある。

これが、まるで、ちょうど、スタートラインなのだ。

ゆっくり、ゆっくり、それこそ必要最低限の力しか使わずに、心拍もそれほど上がらず、脚も矯めているのを感じながら、少しづつ、少しづつ、登っていく。それでもデータを見ると、劇坂区間というのは、二キロかそこら程度という距離であり、それを聞けば、えっ、そんな短いの、となる。気張っての玉砕を覚悟した神風アタックとなれば、絶望的な道のりと感じられたのだが、まぁ人間の感覚とはそういうものなのだろう。

コンクリートジャングルとは、別の戦いが繰り広げられている。

住宅街を抜け樹林帯に変わり、いよいよ傾斜が増し、法照寺の所まで来ると最初の正念場だろうか。これまでだったら、既に貯金を切り崩しつつあり、どこまで行けるか先が見えてしまったものだ。しかし今回は、スローペースではあるが、この出力ならば持続可能だし、確か平均的な斜度はこのくらいだったはず、後は何ヶ所か出て来る、これよりキツイところさえ全力を出して乗り越えれば、行っちゃうんじゃないかと、この時点で、もしかしたら!?という予感に胸が躍った。

このあたりの前半部分が、一番手強い核心であろうか。

時折、すれ違う車がある。極端に狭いところで遭遇することなく、運にも恵まれている。迫り来るエンジン音に合わせ、タイミングを計って、端っこに避けてやり過ごす。それにしても、自転車に乗っているといつも思うのだが、車というのは図体がデカイよな、と。車は税金をたくさん払って、それで道路を造っているから、大きい顔をするのも、しゃあないのかな。まぁそれはともかく、走りに余裕があるので車にも難無く対処できる。

こうして見ると、大阪も結構な大都会なのだ。

道路の舗装には、排水用だろうか深い溝が走っていたり、滑り止めの為なのか円形のものが無数に彫ってある。ところがこちらは省エネ走法に徹し、直線的に走るのでなく、少しでも斜度を緩くするよう、蛇行しながら走っているので、これら路面の刻みもタイヤに引っ掛かりやすい。しっかと両手はハンドルを握り、ピーンと一本背筋が伸びた状態で、息の上がりはリズミカルな範囲内で押さえ込み、こうなりゃバイクコントロールに間違いはない。S字クランクも性急に駆け上がる内側でなく、伸び伸びと大回りする外側を、目から入る情報は頭で処理することなく体が勝手に判断し動いてくれ、澄み切った意識は集中の度合いを示している。もはや、行けば行くほど立ち現れる次なる難所であろうと的確に対応できており、行けるというのは、予感から確信に変わりつつあった。

コイツが俺の相棒、CAAD10だぜ。

ここで、自転車の紹介に移ろうか。機材スポーツであるがゆえ、何に乗っているかで、走りに違いは出てくるだろう。かと言って、乗り手は変わらないわけだから、それが決定的な差となるものではない。それより、人馬一体という言葉どおり、自身から最高の力を引き出すためには、体の延長と感じられるような乗り慣れた愛車が必要である。

お初にお目にかかります。

#フレーム キャノンデールCAAD10  身長168cmで、トップチューブ51.5cm、シートチューブ74.5度のサイズ48を選択したから、とてもコンパクトに感じられる。

#コンポーネント シマノ 105 10速  11速のアルテグラも持っているが、これはこれで不都合はない。

#ホイール カンパニョーロZONDA 重量1550g  値段と性能の折り合いからすると、これだけ評判のいいホイールも見当たらないから、悪くないのだろう。

#コンパクトクランク 50-34T  インナーは山登り専用と割り切っている。逆にノーマルクランクでヒルクライムとか恐ろしすぎるんですけど。

#リヤスプロケット 12-27T  これもローギヤ先行で考えて、27Tは絶対に欲しい。

#ビンディングペダルは使用せず。 日常の足として使っているから、通常のペダルを装着済み。そうじゃなくても、足をつくとか車を避けることを考えたら…

#重量 8kg  まぁこんなものでしょう。車重を軽くするより、63キロの体重を落とすほうが手っ取り早く、効果もあるに違いない。

くたびれ具合が、いい佇まいである。

どうやら半分くらい登ったところで、もはや勝負あり、というのがわかったので、後はもうコースの説明だの走行の展開だの自身の喘ぐ様子だの、そんなものを記す意味合いは薄まり、正直これを書く気も失せつつあるのだが、まだ言うべきことがあると気付いた点を幾つか述べておこう。

【続く】

カテゴリー: 自転車

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