どうやって写真を撮っているのか、被写体には直感的に反応して、単に条件反射でシャッターを押しているだけ、である。溜まっていく写真の中で、おやっ、これは、というのがあったとして、じっくり見ることはあるけれど、ふむ、なるほど、と意味もなく頷いて終わってしまう。これを機会に、一枚づつ簡単なコメントを付けていくだけでも、これの何が気に入っているのか、つまり写真を言語化することで、自分で自分がわかったりするものだ。
11 今でこそネオンで眩しいが、初めて見た時、それは闇に沈み、高くも大きくもなく、ぶっちゃけ、しょぼかった。住めば都という言葉があり、馴染んで来ると、威圧的でもなく肥大もしてなく、把握できるサイズ感として、大阪らしいモニュメントじゃないか。
12 目の前で見ると、無味乾燥な復元物でしかなく、興醒めとなること請け合いだが、幾重ものお堀のスケール感を生かし、これは昔からの石垣と組み合わせ、大木からの見えるような見えないようなアングルで撮れば、あの大阪城も格好良くなるものだ。
13 真夏の四天王寺の本堂を歩き、体温を超える熱さはアカンと思い、まだ風が吹き抜けて助かっており、ここで、その場の空気さえも封じ込めるという表現があって、Sonyのα7SとVoigtlanderのF2/65mmの組み合わせならば、どうだろうか。
14 ここは通りすがりの何の変哲も無い場所であるが、よく考えると、都市の俯瞰図というのは高層ビルに遮られて上手く行かないもので、これだけ開けて雰囲気を伝えてくれて、めっけものの、お気に入りの撮影ポイントである。
15 凝ったデザインの高層ビルが立ち並ぶのならば、その都市を代表する顔と成り得るだろう、水の都として未だ面影の残る中ノ島に連なるのは、日本を代表する企業ばかりであり、これも大阪の一つの側面であろうと、取り敢えず撮ってみました。
16 大阪市役所の横に鎮座まします彫刻を、ボケすぎるフルサイズの開放で撮ってみたら、白飛び気味の肢体は眩しく雲の浮かんだ青空は鳴りを潜めて… 思った通り面白い表現が出て来たけれど、カメラをやってなかったら、この存在は気にも留めなかっただろうな。
17 人の体は新陳代謝で細胞が日々入れ替わっているらしく、街を歩いても常にあちこちで古いものは取り壊されて新しいものが出現しており、こういう重機による解体現場は、都市の生命維持活動の一環として、やたらリアルに感じられるものだ。
18 鶴橋のアーケード街は、人工的な?テーマパークの見世物小屋なんて足元にも及ばない重量感を持っており、あまりの古さに触れなば落ちんと結晶と化すようで、未だ形を保っているのが不思議なくらい… ちなみに、時計は未だ現役である。
19 生駒山の斜面に、わざわざ線路を敷いた近鉄電車万歳と言うべきか、ここまで運んでくれるのなら住宅地としても開拓されていて、ご覧の通り、陽が沈めば光の海が夜景として楽しめてしまい、ここに住むのも悪くないと密かに思っている。
20 夜が更けても妖しく光るのは飲み屋であり、下界において地べたに這い蹲って生きることを宿命づけられた、そんな人間の精神を腐敗して分解を促進してくれる、云わば社会の浄化機能を持った都市のオアシスなのだが、ちょっと言い過ぎたかな。
【終わり】
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