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えべっさん 1

「大阪百景」の作業を通じて、どれをピックアップするのか、撮り溜めたものを見直していたら、“今宮戎”において撮ったもので面白いものが多かった。まだ写真を始めて3ヶ月くらいの頃で、まともに人を撮ろうとカメラを向けたのも、今回が初めてだったと記憶する。一月の寒空の下、何時間にもわたり、時間帯を変えて、日にちをまたいで、結構粘って撮り歩いた甲斐があったというもの。ざっと50枚ほどの、お眼鏡に適ったものを選び出し、さらに10枚ほどを抽出して自己ベストで構成するつもりだったが、それだと後ろ髪を引かれる思いがしてしまう。瞬間を切り取りながらも物語が込められている完結した世界のもたらすインパクト、本来はこうありたいものだが、それと同時に、写真の属性として物事を記録するという役割もまた担っているはずだ。実際の今宮戎を歩き回った時に感じたこと、それを伝えるには厳選した少数だけでは物足りなく、それならいっそ、ありったけの武器弾薬を持ち出し、これでもかというくらい饒舌に説明してみせるほうが相応しくはあるまいか。

1 家族の肖像とは何やら気になるもので、この場合は、女の子の見上げた表情がすべてであるような、もしかしたら、やたら子供の心を捉えて離さないアンパンマンの吸引力の為せる技かもしらんが、無言ながらも実に雄弁な語りなのだ。

2 大胆なる前ボケの隙間からピントの合った小さな被写体に、見る側の視線は自然と向けられるが、別に構図がどうのこうの計算したわけでなく、直感的に反応してシャッターを押しただけ、それが舞台裏であって、いいものが撮れた時は大体そんな感じかな…

3この圧倒的な存在感はなんだろう、周囲の喧騒から一線を画し、まるで時間が止まったような空間で、じっと目を瞑って手を合わせている女性が一人浮かび上がり、撮った本人でさえ不思議に思われるものが写っている。

4 変な喩えは承知だけれど、映画「Lord of the Rings」のラスボスたるサウロンは炎の目となり世界を睥睨しているが、人間もまた目には力が宿るようで、それが如実にわかる一枚として、幼子の曇りなき眼がそこにあるだけで絵が成立してしまう。

5 これは、まぁ「ムーミン」のミイを連想させずにはおかない、見事なタマネギ型のお団子ヘアをした、えらく格好のいいお姉さん達なのだが、周りを見渡せば、商売繁盛の神様を詣でるという趣旨だけあって、参拝客の層にも生臭さが反映されているかも。

6 子供の頃、おそらく色々な映画を観ての影響と思われるが、年輪の刻まれたシワを持つ老人が妙に気になったもので、この写真を見たら一族郎党を率いる首領の貫禄とでも呼びたくなるのであり、そう言えば、そうだったよな、と今更ながら思い出す。

7 神様を詣でた後は、いよいよお待ちかねの、屋台村における飲み食いであり、酒の肴でしかないサザエのつぼ焼きや、寒さで美味さの倍増する湯気が立つおでんや、これから焼かれる運命にある血の色をした肉塊、等等、すでに用意万端なのだ。

8 今宮戎の開かれる三日間の稼ぎは中々にエグイものらしく、忙しさに見合うだけの見返りがあるならば、屋台で腕を振るう料理人の手捌きも実に軽快であって、鴨が葱を背負って来るのを迎え撃つばかりである。

9 路地を入った裏手にある、比較的こじんまりとした神社に、交通規制されるほどの人々が押し寄せるので、十日戎のいよいよ佳境に入った頃合いは、ちょっと集団ヒステリーみたいな半端ない熱量に溢れるようになり、一体この騒ぎは何だろうと思った。

10 笹もってこい♪というフレーズが境内を馬鹿の一つ覚えみたいに流れ、カメラ片手に歩き回るのも疲れ気味で、少々ささくれた心持ちとなり、葉っぱを手にしたカップルも象徴的かなと思いながら適当に撮ってみたら、上手くボケとブレの具合が面白かった。

【終わり】

カテゴリー: 写真

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