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Banksy in 西成

建物の壁に落書きという迷惑千万なことをしながら、世界的な芸術家にまで奉られるようになったものだ、しかし法律的には一概にそれが駄目だと言っている訳でなく、下手糞だから建物の価値が下がる、つまり器物損壊などと同じ解釈であるらしい、それなら見事な出来栄え、しかも権威のお墨付きとくれば、世間の扱いは変わって来るだろう。

どうやら西成に現れたらしいという噂があって、この人物は社会的関心が旺盛であり、ユーモアの衣を被ってメッセージ性を含むという風刺がスタイルだけれど、地球の至る所に出没しては作品を残していき、その際に場所も吟味されるのだが、極東の島国で問題意識をそそられる場所と言えば、ここに出没しても全然不思議ではないと思われる。

当の本人が描いたのかどうか、それはどうでもいいことかも、逆に曖昧にしといたほうがロマンチックであるような、それより否応なく気付くのは、風景におけるアクセントとして落書きの有効性、敢えて蔑称のままで行くほうが気概を感じさせるだろう、こんな視点でブラブラ歩いてみれば、ちょこちょこと街の豊かな表情に出くわしたものだ。

1 それは結局のところ、単なる落書きでしかないから、遅かれ早かれ消え去る運命にあり、したがって、ある日、マンションの壁の塗り替えが行なわれれば、一切の跡形も無くなってしまう、この写真だけが在りし日の雄姿をとどめている。

2 まだ何者でもない美大生、大きな野心を秘めた一大卒業作品、古民家という大きなキャンバスに絵を描きまくった、そんな風情を漂わせ、ポップでシュールな“don’t think! feel”ってなもん、突然こんなのが眼前に現れたら楽しくなるんでないかい。

3 これって昔ながらの店構えがそのまま残っているだけ、それがそのままオブジェとして通用してしまう、まったくもって驚きを隠せないのだが、それって今より昔のほうが美的センスに優れていたのか、 或いは“good old days”というのはお約束であるのか。

4 為す術もなく時代の波に呑み込まれ、シャッター商店街と成り果てる運命に抵抗し、活性化の一環として絵を描くことを推奨する、そんな試みもあるようで、よりにもよって飛田の地なのに写実的なハードコア路線で押しているのが周囲と溶け込み過ぎている。

5 明らかに絵心を持った者の仕業であり、例えば暴走族が騒音を撒き散らすことで自分はここに居るんだと叫んでいる、というのは容易な構図だけれど、それとは動機が異なるだろう、一体どういうつもりなんだろうね、何か深謀遠慮が隠されているのかな。

6 絵って面白いな、見る角度を変えても目線はこっちにくれる、しかし全体の印象はガラリと変わってしまう、前者は擦れ違いざまに居合い抜きの殺気を漂わせており、後者は芸者がギターを小脇に抱えポージングしているみたい、一粒で二度美味しいってやつか。

7 大阪の萌えと電波が混在する日本橋にて、路地に何気なく目をやると、思わず二度見をするのが、この奇妙奇天烈な蜂なんだけど、惜しむらくは立ち並ぶ雑居ビルの屋上に止まっており、あまりよく見えやしない、逆にストリートオブジェ感が全開と言えるか。

8 これを見て、知る人ぞ知る、Bob Dylanは「The Freewheelin’」のジャケット写真が思い起こされるかもしれない、まったく偶然に撮られた一枚だけれど、しかし、まぁ、カメラを向けられても、恋愛の高揚感で何も気にしちゃいないのは偉大なんだな。

9 家庭環境に問題がある子供達の受け皿なのだが、その掲示板には温もりの感じられるポスターが貼られており、オヤッと思われるのは、夢の国を象徴するキャラクターのシルエットが刻印されている、そこに描かれるべき意図がわからなくもない。

10 カウボーイハットを被っているのに、全身には戦国時代みたいな甲冑を纏っており、背筋を伸ばして胡坐を組むという立ち居振る舞い、これはもう和洋折衷キャラクターの爆誕であるが、インスピレーションの顕現が如何にも外国人っぽくはないか!?

               【終わり】

カテゴリー: 写真

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