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撮り鉄のつもりはないけれど

誰しもが子供の頃を思い出すのなら、電車に無条件な魅力を感じていたのでは、そうして今、写真を始めてみると俄然こいつを撮りたくなったもので、と言っても、鉄オタみたいに博学的な探究心があるわけでなし、単純に映えるからという理由なのだが、何故これほどまでにエモいのか、もう一歩踏み込んで考えてみると…

動きものならではの尚且つ暴力的さえと言える疾走感、交通手段として縁の下の力持ちである社会的インフラストラクチャー、車内における人間観察の妙味はスマホに余裕で勝ってしまう、ここじゃないどこかへ連れてってくれるというまるで精神安定剤のよう、考えようによっちゃ時刻表って都市を縛り付けるルーティーンそのものでは、我が物顔で電車の路線が張り巡らされているのも凄い特権だな、ガタン、ゴトンと心地良い振動を伴う重低音もまた無意識に刻まれて… 等等。

かくかくしかじかの理由が、様々な角度からの浪漫を眺められ、何も撮り鉄だけが撮るわけではなく、写真に何らかの意味を見出したくあれば、順番が逆かもしれないけれど、それを撮ったのにはそれなりの動機がある筈みたいな、鉄道とは人間の情感に寄り添ってくれるものだから、これはという場面がゴロゴロ転がっている。

1西の空が夕焼けに暮れなずむ頃、妙に胸が締め付けられる思いをするもの、例えば車窓から洩れ出るオレンジ色の光りは、どこからともなく夕餉の匂いが鼻を突く、大海原に立ち向かう灯台のビーム、目が釘付けとなる焚き火の炎、それらと同義語に並べられよう。

2 少年の頃、プラモデルを組み立て、ロボットでも飛行機でも戦車でも、コックピットに操縦士が乗っていると、俄然リアリティが増したもので、要するに、人は道具を使う動物であり、その延長線上に位置しては、こんな鉄の化け物でさえ操っている。

3 大都市の中央駅は、来訪者にとってファーストインプレッションとなり得るが、それと意識してなのか、けっこうな体裁を整えた外観であるような、ここは良くも悪くも景観条例なるものが幅を利かせた、その割には虚勢を張ったかの如き京都駅の北口なのだ。

4 その歴史を紐解けば、鉄と石炭と蒸気の登場が必要であった、何が言いたいのか、つまり金属の塊を動かすものこそが主役なのでは、色々な魅力があるにせよ、中でも車輪の回転する様が面白く感じられ、それを上手く表現出来ないかと考えている。

5 ここは地方のハブ駅であるが、時間帯も遅く人の姿もまばらで、車内とホームと電灯と案内板と待合席と自動販売機など、必要不可欠な物が整然と配置されて、静的に佇んでいる、まるで望遠レンズみたいな圧縮効果は即ち機能美そのものと言えようか。

6 さて人間観察なる趣味があって、マナー的な問題があるにせよ、興味をそそらずにおかないのは、人の様子を眺めやると、あれこれ想像が湧いて来るけれど、すると色々あるものだな、と己の想像力がどれだけ小さいのか、いつもそんな感覚を覚えるかしらん。

7 夜も更けて家路に向かう労働者が吐き出され、代わりに寸分違わぬ互換品が乗り込むだけ… 全自動の機械仕掛けみたいな都市を支える交通基盤であってみれば、この社会に対する疑念がむくむくと頭をもたげ、それもまた真実であると毒を吐かずにいられない。

8 文字通り車両が連なって、先頭から最後まで眺めるのは、物理的に難しくあるけれど、河を渡る鉄橋を走っているところは浮かんでいるみたい、ここで別の感想が湧くのは“銀河鉄道999”なのだが、あれが列車である必然性は不可避であったと納得される。

9 よくレールの敷かれた人生なぞと、謂われなき謗りを受けていると思われるが、これ無くして列車は走ることが出来ずに、ほら“線路は続くよ、どこまでも”という歌の文句もあるくらい、これだけで絵となっちゃうのは流石なのです。

10 民家のひしめく都市の外れ、背後に迫りくる剥き出しの高架橋、開かずの踏み切りに対する怨嗟の声、屋上屋を重ねるとは無駄なことの喩えだけれど、それしか解決策がなかったとしてもそれだけの技術力を持ち合わせれば、こんな非現実的な光景が広がる。

                           【終わり】

カテゴリー: 写真

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