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暗峠②

実のところ、この峠って、意外と誰でも登れるんじゃないかしら。

昔の旅人は、ここで安全祈願したのだろう。

当然ながら、真面目にやっていない者や、山はどうもと敬遠している者などは、はなから論外だが、ロードバイクに乗っており、日本は山国だから否が応でも山にぶち当たるさ、とうそぶきつつ、何故か山に引き寄せられるな、と自分でも理由はわからないが気付くと山ばかりに向かっている、その論理的帰結として、山へと定期的に行っておかないと山仕様の肉体が後退してしまう、と内心恐れを抱き、もはや泥沼状態なのだ。これらに思い当たるふしのあるロード乗りならば、十分登れる能力を秘めている、と断言していいだろう。だって、そんな大したことの無いはずの自転車乗りが、呆気なく、登れてしまったのだから。

バチが当たるかな。どうも、すいません。

過大にも過小にも評価する必要はなし。だから結果があれば原因があるはずで、まさか奇跡が起こったわけでなく、かと言って、まぐれや偶然で説明されるものでない。科学を持ち出すのも大袈裟かもしれないが、まぁ知っている人は知っているだろう、それでも知らない人間のほうが多いだろう。要するに、ちょっとした自転車ならではのカラクリが仕掛けられているという話である。

ちっとも信仰深くないけれど、いい雰囲気なのは認めざるを得ない。

いざ登れてしまったら現金なもので、それまで敗北を認めたくないと顔を背けていたのに、俄然興味が湧き、ネットにて“暗峠”というキーワードを打ち込んで調べてみたら、気になる記述を見つけた。一つは、リアのスプロケを32Tにして登ったよ、というものであり、もう一つは、初心者の頃、マウンテンバイクで登ったよ、というのが、それである。

さも意味ありげな鳥居の形と、究極なる機能美のロードバイクとのツーショット。

CAAD10に装着されるフロント34T×リア27Tという組み合わせは、ギア比でいうと約1, 26であり、クランクを1回転させれば後輪への伝達は大体1と4分の1回転に変換される。それが32Tであるなら、34を32 で割れば約1, 06となり、およそ1と16分の1が推進力となるわけで、わかりやすく言えば、クランクは軽く回せるが、その分、距離は進まなくなる、という寸法だ。

よく見ると、妖怪が顔を覗かせているような…

さらに、乗ったことないけれど、山岳トレイルに持ち込まれる、マウンテンバイクと呼ばれるものは、あらゆる状況に対処できるようフロント三枚仕様になっているそうで、もはや最も軽いギヤ比は1を割り切ってしまい、つまりクランクを1回転させても、後輪は1回転もしてくれずに、どんだけ軽いんだ、平地にて踏んだらスカスカでちっとも前に進まないじゃないか、との嘆きが聞こえてきそうだが、この峠を登らんとするなら大きな武器となるだろう。

この峠は、過去の蓄積により、重たいのである。

あれっ、これって、その名前に怯え、えっちらおっちら踏んでいたら、意図せざるうちにも、スピードは遅くなるがペダルは軽くなるという、単純なギヤ比の理屈が実践されていただけ、なのであるし、或いは更に、極端に振れた構成となっているマウンテンバイクに跨っているかの如く山を走った、という図式になるじゃあないか。

下界でせせこましくやっていると気づかないが、空は広いのである。

まぁ他に挙げるとすれば、初冬の頃で、最高のパフォーマンスを発揮するには最適の季節であったのかもしれないし、また、ちょうど少し乗り込んでいてコンディションも上向き加減であったというのもあろうが、それでも、それらが決定的な要因になるとはとても思えなくて、どう頭を捻っても登れてしまった一番の理由というのは、前述の事柄しか見当たらない。

こうして見ると、人間はなんで、こんな密集して生きているのか、溜息が出てくる。

ふーむ、こいつに通用するとは、どんな意味を持つものなのか。あの、暗峠をやっつけたぜ、と言えるのは、ごく少数の知っている人に対して自慢できることだろう。そして、一旦為し遂げられたからには、その虚栄心を維持するため、定期的に峠通いをし、肉体に負荷を覚えさせ、精神的な優位を守る、という立場に置かれてしまったようだ。

写真は一瞬を切り取るが、モノクロの、過去とともに沈み込むような味わいが好きだ。

はてさて、好きで乗っているはずなのに、義務が生ずるかのように感じるのもどうかと思うが、こうして公に発信するとなれば、それも止むを得ないのだろう。

【続く】

カテゴリー: 自転車

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