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名も無き者の戯れ言 投稿

大阪百景4

実を言えば、もうストック分が底をつこうとしており、新しく撮りに出掛けなきゃならないのだが、しかし丁度いいのかもしれないぞ。これまで“大阪百景”という括りを後付けに、良さげなものをピックアップし、それぞれに雑感を述べてきた。それはそれで悪くなかったが、最近、どこに向かっているのか見当もつかん、という点が気になってしょうがない。これからは、少し頭を使い、その線でもって写真を撮っていけたらな、そうすれば、もうちょっとまとまりのある感じになるのではないか。今回で一旦打ち切りにして、ここらで仕切り直しをしたいと思っている所存であり、それでは皆様、また会う日まで暫しのお別れなのだ。

31 技術的な話になるが、昼日中だから光量は多くて、F値を絞ってもシャッタースピードは早くなり、するとどうだろう、道行く人達はやたら気取ったポーズで歩いているではないか、全くの被写体ブレなしに瞬間を捉えれば、えらくキレが出ることを発見する。

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大阪百景3

さて何を書こうかな、と朧に虚空を睨みつつも、無から有が生まれる道理はなくて、雑多な想念から真髄を抽出すべく、頭をフル回転させて何かが降りてくるのを待つけれど、厚い霧の中を彷徨っているようなものだから、はたからはフリーズしているとしか見えず、これは生みの苦しみと言うべきか、写真より書くことのほうが大変と感じる。

21 西成に現れたらしい、という話を聞きつけて探しに出かけたら、ほんの近所でこれが簡単に見つかったのだが、他の落書きに埋もれてその存在感にもかかわらず上手く溶け込んでおり、わかる人にはわかるだろう、という洒落っ気に笑いが込み上げてきた。

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大阪百景2

どうやって写真を撮っているのか、被写体には直感的に反応して、単に条件反射でシャッターを押しているだけ、である。溜まっていく写真の中で、おやっ、これは、というのがあったとして、じっくり見ることはあるけれど、ふむ、なるほど、と意味もなく頷いて終わってしまう。これを機会に、一枚づつ簡単なコメントを付けていくだけでも、これの何が気に入っているのか、つまり写真を言語化することで、自分で自分がわかったりするものだ。

11 今でこそネオンで眩しいが、初めて見た時、それは闇に沈み、高くも大きくもなく、ぶっちゃけ、しょぼかった。住めば都という言葉があり、馴染んで来ると、威圧的でもなく肥大もしてなく、把握できるサイズ感として、大阪らしいモニュメントじゃないか。

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大阪百景1

写真をパシャパシャ撮って、デジタルならではのRAW現像で追い込み、まぁ取り敢えず、納得のいくものが出来上がったが、パソコンのハードディスクに貯まっていく一方である。それもどうかと思い、死蔵しておくくらいならと考え付いたのは、「大阪百景」と名付け百枚分を選別して、一気に陽の目を見させてやろう。

1 住吉大社の反橋という、えらく傾斜のついた段を上り切り、若い女の子が髪を振り乱して、服のシワシワも躍動感を醸し出し、そうして凝固した狛犬の面構えとの対比が印象的なのだが、どうすればいい写真が撮れるのか、それは単純に偶然かもしれない。

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My Favorite Route

ロードバイクに乗る理由の一つに、旅の要素がある。

❝子供の頃、底の深いプールに飛び込んだ時、名状し難い恐怖を感じたものだが、天地が逆であるけれど、いざロードバイクで走りに出掛けようとすると、少なからず虚空に流離う鳥みたいな気持ちとなる。❞

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写真事始

なんとなく昔から面白そうだなと思っていて、まぁ自分のことなので恐らくは自分に向いているという直感があり、そこで漸くのこと腰を据えて手を出してみたのが、写真なのだ。

❝仰々しく登場しているが、この被写体であるSONYのRX100を取り上げたいというより、どちらかと言うと、これを撮ったカメラの映りを見てもらいたくて、それは不思議なくらい面白いような絵が出て来るRICOHのGRである。❞

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CAAD10 細部に神は宿る②

さすが己の力に頼る自転車、微妙な差異が大きくものを言い、登りと平坦の地形的な種類で漕ぎ方が変われば乗車姿勢も違ってくる。ところが、ダウンヒルでは一転してシビアな状況に置かれ、もはやポジション云々じゃなく、スピードがもたらす快感と恐怖の間で行ったり来たり。以上のように、最適なポジションの一点を決めたいのはやまやまだけど、生憎そんなもの決められるとは、とても思えん。

ふと、やはり野に置け蓮華草、という言葉が頭に浮かんできて、日常の何気ない場面に佇んでいるのが、一番”らしさ゛を感じるだろうか。

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CAAD10 細部に神は宿る①

いわゆる細部に神は宿ると言われ、どこか意味深なところが気にかかる、でも実のところ、ただ雰囲気に溺れているだけかも。その一方で、論より証拠という言葉があって、自転車もまた各部に目を向ければ思うところあり、それらを集合させれば雄弁に語ってくれるはず。

最近、写真に凝ってまして、カメラの設定を絞り開放に、被写体と背景の距離感を出し、光と影のせめぎ合いを頭に入れ、するとこんな浮かび上がったものが捻り出せるんですよ。

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壱号機 CAAD10 その2

かてて加えて、体重を乗せるようにペダルを踏み込むのなら、作用反作用の物理法則どおり、洩れなく付いてくる路面からの跳ね返りは、それはそれは遠慮することなく路面状況を伝えてくれるわけだが、ここからもアルミフレームならではの力の伝達に関し、一寸思うところが出てくる。

この色の塗分けとロゴのプリントは完成されてると思うんだが、それに合わせてバーテープやアウターケーブル等々のカラーリングをどうするのか、乗る人間の美的感覚が問われるのである。

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壱号機 CAAD10 その1

数あるメーカーが用意したアルミのエントリーモデル群からどれを選べばいいのか、性能は横並びだろう、価格設定も同じようなもの、とあ っては、何を判断基準にすべきかと言えば、もはや決定的な差となるのも、アルミ復興の一日の長であるというイメージだけかもしれない。

知る人ぞ知る”七葛”で有名な葛城山の頂上であるが、おいおいこんなとこまで落書きしに来んなや。

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