ある時、六甲の山を登りに行って、延々と続く結構な勾配の坂道を呼吸も荒くペダルを回していたら、前に自転車のシルエットが見えるではないか。こういうのは仲間のような親しみと、ライバルみたいな対抗心の両方が首をもたげて、思わず知らず刺激を受けるものだが、すれ違いざま見てみたら、中学生くらいの三人組が自転車を降りてしまい、それでも押し歩きで山頂を目指している。それはママチャリか、それ風の軽快車だったか、いずれその類であった。えっ、この峠を登らんとするなら、いわゆる“ロードバイク”でなきゃ、いくらなんでも無理だろう、と思ったのだが、その心意気や良し!ってなもんで、明らかに馬鹿っぽいけれど、こういうのは将来有望であるのかな。
コメントする名も無き者の戯れ言 投稿
自転車を三台ばかり持っていて、しかもロードという同じ土俵のものばかり、それぞれフレームの材質はアルミ、カーボン、クロモリとなる。門外漢から見たら、何故そんなに必要なの、馬鹿じゃないの、となろうが、こちらとしても別に一遍に揃えたわけでなく、時系列的に見れば、然るべき理由があって今日に至るのだ。
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